2004年6月、日本のヒップホップの歴史に残るビーフが起きた。BUDDHA BRANDのDEV LARGEが、キングギドラのK DUB SHINEへのディス曲「ULTIMATE LOVE SONG」を匿名でインターネットに公開したのだ。K DUB SHINEは10日後にネットでアンサーを返し、約2週間に3曲が行き交った。レコード会社を通さず、ネット上で当事者同士が直接応酬する形は当時の日本では初めてのことで、この一件は「日本初のネットビーフ」と呼ばれる。もともと両者は米国在住時代からの友人同士であり、対立は9年にわたって続いた末、共通の友人の死をきっかけに和解している。本記事では、発生日と応酬の順序、結末までを出典付きで整理する。
基本データ
| 当事者 | DEV LARGE(BUDDHA BRAND) vs K DUB SHINE(キングギドラ) |
|---|---|
| 発生日 | 2004年6月19日(「ULTIMATE LOVE SONG」がネット公開された日) |
| 対立の形 | ディス曲の応酬(インターネット公開) |
| 応酬の曲数 | DEV LARGE 2曲、K DUB SHINE 1曲 |
| 結末 | 楽曲の応酬は2004年7月に終了。2013年に握手で和解 |
発端:友人だった2人と、アルバム発売前の一節
DEV LARGEとK DUB SHINEは、1993年当時、ともに米国オークランドに住んでいた頃からの知己だった。帰国後も近所に住み、電話で連絡を取り合う仲だったという。対立は、見知らぬ者同士の衝突ではなく、友人同士の亀裂から始まっている。
きっかけは、K DUB SHINEのソロアルバム『理由』(2004年7月14日発売)の収録曲「来たぜ」の一節だった。渡米時代に出席したラップのセミナーでBUDDHA BRANDと対面したことを歌った曲で、「そんとき初めて出会ったブッダ/バトルは俺が完全に食った」という趣旨のラインが含まれていた。この一節はアルバムの発売前に人づてでDEV LARGEの耳に入り(正確な時期や経路は資料では特定できない)、怒りを買ったとされる。背景には、DEV LARGEが以前からK DUB SHINEのバイリンガルなラップスタイル、「日本語ラップ」と称しながら英語を多用する点への不信感を抱いていたこともあったと伝えられている。
応酬の経緯:2週間に3曲

| 日付 | 誰から誰へ | 曲名・媒体 | 要点 |
|---|---|---|---|
| 2004年6月19日 | DEV LARGE → K DUB SHINE | 「ULTIMATE LOVE SONG」/ネット公開(匿名) | 約9分の大作。冒頭約3分はビートなしのアカペラで攻撃し、後半はTha Dogg Pound「New York, New York」のトラックを使用。サビはCapone-N-Noreaga「L.A., L.A.」がもと。米国の有名ディス曲の型をなぞった構成だった |
| 2004年6月22日 | DEV LARGE | InterFM『Joint One Radio Show / DEN説の火曜日』 | 本人が出演して同曲をオンエア。匿名投稿の作者がDEV LARGE本人であることが判明した |
| 2004年6月29日 | K DUB SHINE → DEV LARGE | 「1 THREE SOME」/ネット公開 | 約2分半の短いアンサー。G-Unit「Poppin' Them Thangs」のインストを使用し、突然のディスへの問いかけと、DEV LARGEがソロアルバムを出していないことへの皮肉を込めた |
| 2004年7月1日 | DEV LARGE → K DUB SHINE | 「前略ケイダブ様」/ネット公開 | K DUB SHINEのアンサー音源を流しながら、その上に自分のラップを重ねる構成。後半は「ULTIMATE LOVE SONG pt.2」(5分超)。さらなるアンサーを求めたが、K DUB SHINEは返答せず、楽曲の応酬はここで終わった |
| 2004年8月20日 | (作品化) | I-DeA『self-expression』発売 | 再録版「Ultimate Love Song (Letter) feat. MONEV MILS & 漢」を収録。ネット発のディス曲がCDに収められた |
最初の投稿が匿名だったため、作者の特定も話題になった。6月22日にDEV LARGE本人がラジオで自ら曲をかけて名乗り出たことで、ネットとラジオが交差しながら事態が広がっていった点も、この時代ならではの展開である。
K DUB SHINEのアンサーにも当時ならではの事情がある。後年、本人がラジオ番組でDJ SOULJAHと振り返ったところによれば、「1 THREE SOME」の音源はDJ SOULJAHが自身のサイトで運営していたネットミックスショーの「Beef」コーナーを通じて公開された。タイトルの「1 THREE SOME」はもともと別の言葉の誤記だったと、K DUB SHINE本人が説明している。
ネット公開がオリジナルだった3曲は、その後CDにも収録された。「1 THREE SOME」はミックスCD『BEST OF K DUB SHINE (Blendz Version)』(2004年11月1日)に、「ULTIMATE LOVE SONG」と「前略ケイダブ様」は刃頭のミックステープ『現場デ炸裂』に収められている(後者は「前略、ケイダブ様お元気ですか? pt.2」のタイトルで収録)。
沈黙と和解:9年後の握手

応酬が終わっても、両者の関係は険悪なまま数年が続いた。転機は2013年、2人と親しかったMAKI THE MAGIC(キエるマキュウ)の逝去だった。K DUB SHINEは、共通の知人であるDJ MASTERKEYから「DEV LARGEが倒れて危なかった」と聞かされ、「いつまでもみんないるわけではない。心残りのことはしておかないと後悔する」と考えるようになったと、後年のインタビューで振り返っている。
追悼イベント「MAGIC FOREVER」の前日(2013年10月16日)、K DUB SHINEは地元・代々木上原でDEV LARGEと偶然出会った。声をかけて握手し、イベントへの参加を誘った。翌日のイベントでは2人が同じステージに立ち、和解したことを観客に伝えた。予定にはなかったCQとDEV LARGEによる「人間発電所」の披露もあったという。
和解から約1年半後の2015年5月4日、DEV LARGEが45歳で急逝した(死因は公式に公表されていない)。K DUB SHINEはSNSで追悼の意を示している。2013年の握手がなければ、この別れは雪解けのないまま迎えられていたことになる。
日本語ラップ史上の意味
このビーフが今も語られる理由は、ぴあ/音楽ナタリーの連載「音楽偉人伝」が整理するように、実名を挙げて1曲丸ごと相手にぶつけたことと、発表のプラットフォームにインターネットを使ったことにある。当時のネットはまだ無料配布の場であり、レーベルやメディアを介さずに当事者同士が即座に応酬できることを、日本で初めて大規模に示した事例だった。宇多丸もラジオで、曲を往復書簡のようにやり取りする形のバトルは日本ではこの件で初めて成り立った、という趣旨を語っている。後のSNS時代のビーフの原型がここにある。
そして、このビーフは曲の応酬だけで完結し、暴力に発展することなく、最終的には当人同士の握手で終わった。対立の始まりから和解までの全行程が記録として残っている点でも、日本語ラップのビーフを語るうえでの基準点であり続けている。
音源について
3曲はいずれも当時のネット公開がオリジナルで、本人やレーベルの公式YouTubeチャンネルでの動画公開は確認できていない(本記事ではファンによる投稿動画は扱わない)。現在たどれる公式な収録盤は、I-DeA『self-expression』(「Ultimate Love Song (Letter)」収録)、DJ MASAKI『BEST OF K DUB SHINE (Blendz Version)』(「1 THREE SOME」収録)、刃頭『現場デ炸裂』(DEV LARGEの2曲を収録)の3作品である。
関連記事
出典・確認日
- MUSINA「K DUB SHINEとDEV LARGE、ネット時代に生まれた日本語ラップ史上のビーフ」
- 音楽ナタリー/ぴあ「音楽偉人伝 第19回 D.L a.k.a DEV LARGE(後編)」
- hiphopflava「インターネット上で勃発した日本で初めてのビーフ(DEV LARGE vs K DUB SHINE)」
- 宇多丸のウィークエンド・シャッフル(TBSラジオ、2013年10月19日放送)の書き起こし/要約
- K DUB SHINE × DJ SOULJAH対談(JOY FM『PRIME CUTS』2022年12月10日放送分)の書き起こし
- ORICON(K DUB SHINE作品情報)
- Wikipedia「Kダブシャイン」「DEV LARGE」(補助資料)
確認日:2026年11月3日
更新ログ:2026年11月3日 初版
