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知らないじゃ始まらない!日本語ラップの歴史 1981年~1989年編

はじめに

こんにちは。管理人のIkoanです。
今回は「日本語ラップの歴史」について紹介しようと思います。

これを読んでるってことは、あなたは「日本語ラップ」「HIPHOP」に多少は興味があるってことでしょう。

不良が好きな音楽のイメージが強い日本語ラップ。日本語ラップを聴いていてもその始まり、歴史について知っているのと知らないのではだいぶ違います。

近年ではZEEBRAがオーガナイズしている「フリースタイルダンジョン」などで一般的にも認知されるようになったり、J-POPアーティストやアイドルグループもラップを取り入れた音源をリリースするなど、世の中にそれなりに市民権を得てきている日本語ラップではありますが、元々はとても閉鎖的な文化であるため、カルチャーの辿ってきた歴史、時代時代の重要な人物や出来事について頭に入れておかないと曲の深いところまで理解できないのが日本語ラップの世界なのです。

ラップという歌唱法は実はまだ日本における歴史が浅く、約30年しか経っていません。元々のアメリカにおけるHIPHOPの歴史も1970年代初頭が始まりで、ニューヨークのブロンクス地区で行われていたパーティーから生まれた文化でした。ということはまだ約50年しか経っていないのです。また「HIPHOP=ラップ」と思われがちですが、HIPHOPは特定の音楽ジャンルの名称ではなく「黒人の文化」のことを指します。「ラップ」「DJ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」を合わせてHIPHOPの四大要素と呼ばれており、「ラップ」はあくまでも一つのHIPHOPの表現方法なのです。

それでは日本語ラップの歴史を学んでいきましょう!

1981年

厳密にはわからないですが、日本初のラップは"1981年にでた「YMO」 による楽曲"ではないかというのが一般的な説です。
YMOの1981年のアルバム『BGM』に『ラップ現象』という曲名で細野晴臣がラップをしています。
曲名から明瞭に音楽表現としてのラップを意識しており、これが日本のメジャーレーベルに於ける明瞭なラップ楽曲の第一号と言われています。
それがこちら。


聴いた感じは今の日本語ラップとは全く別物の印象を受けますが、リズムはまるで”The Sugarhill Gang - Rapper_s Delight”を思わせるようなグルーヴ感溢れるブレイク・ビーツ・サウンドが出ていると思います。

1985年

いとうせいこう

日本語ラップの先覚者と言われる"いとうせいこう"がアルバム"業界くん物語"をリリース。(はじめての日本語ラップのフルアルバムと言われているものです。)

このアルバムは2016年にCDで再販されているので、容易に手に入れることができます。

1985年まとめ

ちなみに1985年には「HIPHOP」の名付け親であり、ヒップホップの創始に関わった3大DJのひとりアフリカバンバータが来日しているのはあまり知られていない事実です。
のちに詳しく書きますが、アフリカバンバータだけではなく、あの"RUN DMC"や"L.L.COOL J"もいち早く日本に招致するなど、日本は"日本語ラップ"というものが形成される以前にかなりHIPHOPに対しての感度は高かったようです。

1986年

近田春夫

また、時を同じくして"近田春夫"もラップを取り入れた音楽、マスメディアを批判する「Masscomunication Breakdwon」をリリースしています。


近田春夫氏はあのYOU THE ROCK★にもかなり影響を与えた人物だと言われており、それはこの映像を見ればなんとなくわかる気がしますね。
しかし、いとうせいこうもそうですがこの辺りの時代の日本語ラップは今のようにヒップホップカルチャーを理解したうえでやっているという感じではなく、情報感度の高い人が「これから流行るだろう最先端の音楽」として"ラップ"を取り入れていたというのが実情ではないでしょうか。
近田春夫氏が「日本語の場合、脚韻踏むのって、バカみたいなんですよ。(中略)脚韻に関しては、本来のヒップホップという概念を自分が咀嚼するとき、必要のないもののひとつに僕は数えているんだ」と韻について語っているのがその証明であると私は思います。

1986年まとめ

さらに1986年にはRUN DMCが来日しており、NHKホール・名古屋市公会堂でライブを行なっていました。さんピンCampをのちに企画するECDもこの公演をみて「来日公演を観て、びっくりしたんです。彼らのレコードにはギターが入っていたからライブでもギターを入れてやるのかと思ったら、実際はターンテーブルとマイクだけだった。これはすごいなと思った」と語ったそうです。
この公演のオープニングアクトとしていとうせいこうやタイニーパンクス(藤原ヒロシと高木完)が出演しています。ちなみにYOU THE ROCK★が15歳で長野から出てきて、タイニーパンクスに弟子入りしたのも、1986年なのです。こうして日本語ラップの歴史を形作っていく役者達がだんだんと表舞台に現れてきます。

1987年

ECD

日本語ラップの歴史において重要な役割を果たすECDこと石田義則氏がRUN DMCに影響を受け活動を開始します。
ただこの頃はまだ"HIPHOP MC"としてではなく、DJとしてキャリアを始めるのです。
この年、ECDはベスタクス主催のDJ大会で優勝します。(ベスタクス株式会社は、かつて存在した日本の音楽機材メーカー・ブランド名)

BEAT KICKS

そして、MICROPHONE PAGER、雷家族の一員として有名なTWIGYもこの頃名古屋のラッパー刃頭(Hazu)と共にBEAT KICKSを結成して活動開始しています。
TWIGYと言えば、有名な"証言"をはじめとして高音ラップのイメージが強いですが、この頃はそこまで高い声ではありません。
以下のラップを見てみてください。


体が自然と揺れてしまういなたいラップですねぇ〜。

1987年まとめ

また、この年にはL.L.COOL Jが来日して公演も行なっており、三年連続でHIPHOPの大御所達が来日公演し、日本にHIPHOPの種を撒いていたのです。

 

1988年

いとうせいこうらによって形作られていった「これから流行るだろう最先端の音楽」として咀嚼され普及していった日本流のHIPHOPではなく、「本場のカルチャーとしてのHIPHOP」に魅せられその本質を追い求めアメリカNYへと渡る者が中にはいました。

うわさのチャンネル

その中にいたのがあのBUDDHA BRANDのメンバーであるCQ、DJ MASTERKEY。
彼らが渡ったNYで時を同じく小学4年生の時に親の転勤に伴い、中学卒業までニューヨークで暮らした後日本に一時帰国して再度渡米していたDEV LARGE、そして幼少からNYで過ごしていたNIPPSと出会ってBUDDHA BRANDの前身である「うわさのチャンネル」というグループを結成したのがこの年です。

B-FRESH POSSE

また、日本語ラップにおける大御所ともいうべきBELLというラッパーが活動し始めるのもこの年です。
原宿のストリートで出会った、MC BELL、DJ KRUSHとKRUSHの弟のDJ BANGの3人で、B-FRESH3を結成します。
ここに、MURO、DJ BEAT、CAKE-Kらが加わり、B-FRESH POSSEが形成されます。

1988年まとめ

これらの話を見て分かる通り、この年あたりから本場USAのカルチャーを芯においた日本語ラップのカルチャーを形成し始めます。

ちなみにスチャダラパーが結成されたのもこの年。
高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太[GOTA]、工藤昌之[K.U.D.O.]、中西俊夫の5人により、日本初のヒップホップ・レーベル"メジャー・フォース[MAJOR DORCE]"設立されたのもこの年です。

1989年

DJとして活動していたECDがついに12インチ・シングル「PICOCURIE」でメジャー・フォースからデビューします。
レアな音源がまさかのyoutubeにありましたね。

さらに大きなニュースといえば、早稲田大学のブラックミュージック研究会"GALAXY"にて、"RHYMESTER"結成がありました。ちなみにKEN THE 390もこのサークル出身です。
きになる人はこちらチェック。→ブラックミュージック研究会"GALAXY"

また横浜にてウェストコースト日本語ラップの先駆者とされるDS455が結成されました。

そして1988年に出てきた"B FRESH POSSE"が消滅、DJ KRUSHとMUROはKRUSH POSSE、BELLとDJ BEATと CAKE-KはB-FRESHとして活動を開始します。

これが1981年~1989年までの日本語ラップの概ねの歴史です。

終わりに

1980年代における日本のHIPHOPは正直まだまだ黎明期であり、初めの頃はラップやDJよりもダンスやグラフィティの方が印象が強く、そのまま"カッコいい"と受け入れられることが強かったようです。
ラップという歌唱法も「ラップカルチャーなどのバックボーンをたどった正統派」というよりも「目新しい、これから流行りそうな新しい音楽」として受け入れられ、表現されていました。

それが徐々に正統派を追い求める者、本場のHIPHOPカルチャーに魅了される者によってその良さが伝えられ、日本における日本語ラップカルチャーが形成されてきたようです。

正直この記事に関してはなんども加筆修正を繰り返して昇華されねばならないと思っています。この一つの記事だけでは書ききれないのが黎明期の日本における日本語ラップカルチャーの歴史です。

まだ歴史の浅い日本語ラップではありますが、先人達が知恵を絞って絞って築き上げてきたカルチャーです。
これをたどってみるとすごく面白く、ここからまた自分なりに調べて見たりして見識を深めていただければと思っております。
また1990年代も書きますので、楽しみにしておいてください。
日本語ラップカルチャーは1990年に一気に広がり、2000年にはもう大きなムーブメントを起こすカルチャーとして成長します。

その先は今紡ぎ出されているばかりです。これを読んでるあなたも今、カルチャーを継承し、作っている同志なのだと私は思います。

一人でも多くヘッズが生まれることを祈り、この記事を書き終えようと思います。

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