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JAPANESE HIP-HOP
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ビーフ年表

漢 a.k.a. GAMI vs DABO|「リアル」をめぐる6曲の応酬と、般若の仲裁による和解(2002-2005)

出来事の発生日:

記録・検証について

出来事の日付・引用元・当事者の発言は本文内で確認してください。未確認情報は事実として扱わない方針です。

漢 a.k.a. GAMIとDABOのビーフは、2002年の一曲から始まり、楽曲6曲と客演での挑発を重ねて約3年に及んだ、日本語ラップでも有数の長期戦である。争点はスキルそのものよりも「ヒップホップにおける“リアル”とは何か」という姿勢の問題にあり、最後は般若の仲裁による電話で和解した。本稿では応酬の全容を時系列で整理する。

当事者漢 a.k.a. GAMI(MSC)× DABO(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
勃発2002年6月10日、MS CRU「幻影」
応酬楽曲6曲+客演バースでの挑発1件(2002〜2005年)
決着2005年、般若の仲裁で電話により和解
型複合・長期型(理念の対立→応酬→ステージ上の対峙→和解)

発端――「リアルでない」という指摘

漢は自伝『ヒップホップ・ドリーム』で、DABOを敵対視するに至った理由は「リアルでない」という点が主だったと書いている。具体例として挙げられたのは、2002年のシングル「恋はオートマ」のミュージックビデオでDABOが車を運転している一方、別のインタビューでは免許を持っていないと述べていたこと、そして同年のアルバム『HITMAN』のジャケットで銃を構えていることだった。漢は後者について「銃を構えることがどういう意味を持つか考えてほしい」と述べたとされる。あくまで漢側の主張だが、この「言葉と見た目と実態の一致」を問う姿勢が、ビーフ全体の軸になった。

実際の火蓋は2002年6月10日、漢が所属するMS CRU(現・MSC)のデビューEP『帝都崩壊』の収録曲「幻影」で切られた。「幻影」にはDABOのシングル「拍手喝采」を引いた一節があるとされ、ここから応酬が始まった。

応酬の記録――6曲と1つの客演バース

応酬はアルバム収録曲同士で重ねられた(画像はイメージです)
日付誰→誰楽曲・媒体要点
2002年6月10日MS CRU(漢)→ DABO「幻影」/EP『帝都崩壊』デビュー作でDABOをディス。ビーフの開幕
2002年9月25日DABO → 漢「WANNABEES CUP 2002」/『HITMAN』「カンカン」と踏切の警報音に掛けて漢を挑発するアンサー
2003年2月25日MSC → DABO「FREEKY 風紀委員」/『MATADOR』免許のない運転演出やジャケットの銃を正面から批判。以後「風紀委員」は漢の異名として定着した
2003年9月26日DABO → 漢キエるマキュウ「4 BIG SHIT feat. DABO, YOUTH」/『THE PEEP SHOW (SUPER FREAK)』他アーティストの作品への客演でアンサー
2003年12月24日DABO → 漢「おそうしき feat. 般若」/『DIAMOND』葬式になぞらえた最も知られるアンサー。客演の般若は、後に両者の仲裁者となる
2004年8月20日漢 → DABOI-DeA「Ultimate Love Song (Letter) feat. MONEV MILS & 漢」/『self-expression』客演バースでも挑発を続けたとされる
2005年1月26日漢 → DABO「Take Candy From A Baby」/1stソロアルバム『導 〜みちしるべ〜』一連の応酬を総括する一曲。これを最後に和解へ向かう

DABO「WANNABEES CUP 2002」(公式音源)

MSC「FREEKY 風紀委員」(公式音源)

DABO「おそうしき feat. 般若」(公式音源)

漢「Take Candy From A Baby」は公式のYouTube音源が確認できなかったため、Apple Musicで聴く。

ステージ上の対峙――2004年7月、Shibuya O-EAST

応酬が続く中、2004年7月にShibuya O-EASTで開かれた妄走族のMASARU主催のイベントで、両者は初めて直接顔を合わせた。DABOが「おそうしき」を披露している途中、漢がステージに上がってフリースタイルを仕掛けたが、DABOは自身の曲を最後まで歌い続けたため、その場でバトルらしい応酬にはならなかったと伝えられている。

和解――般若の仲裁と一本の電話

2005年1月、漢が「Take Candy From A Baby」を発表した後、般若が仲裁に入り、両者は電話で話して和解に至った。漢は同年のインタビューでこのビーフを振り返り、「そもそもオレがムダに噛みついて始まったビーフだし、ディスった曲数もコレで同じになったから」と語っている。同時にDABOについては「後進の手本になんなきゃいけないヤツなんだから」とも述べており、批判の矛先が人気そのものではなく、立場に伴う姿勢にあったことがうかがえる。

長期戦の決着は、般若の仲裁による一本の電話だった(画像はイメージです)

その後――タッグを組むまでの関係

和解後の関係は良好で、DABOは2012年7月に「初めての体験をさせてくれたかけがいのないマイメン」「初めてのビーフがあいつでよかった」と投稿し、2013年にも「リスペクト漢!」とツイートしている。漢の番組「漢たちとおさんぽ」での共演もあった。そして2026年8月11日、Kアリーナ横浜で開かれたMCバトルイベント『BATTLE SUMMIT III』では、漢とDABOがタッグを組んで出場した。かつて「リアル」をめぐって争った二人が、24年を経て同じ側に立ったことになる。

このビーフの位置づけ

漢とDABOのビーフが長く語り継がれるのは、応酬の曲数だけが理由ではない。免許のない運転、ジャケットで構えた銃――個々の指摘は小さく見えても、その底には「ヒップホップの表現は本人の生き方と一致しているべきか」という、日本語ラップが繰り返し向き合ってきた問いがある。新宿のアンダーグラウンドから来た漢と、メジャーシーンで活躍するDABOという出自の対照も、この対立を単なる個人間の争い以上のものにした。和解の形が「電話一本」だったこと、そして仲裁者が応酬曲の客演者だったことも含めて、日本語ラップのビーフの原型のひとつと言える。

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出典・確認日

本記事の事実関係は、漢 a.k.a. GAMIの自伝『ヒップホップ・ドリーム』に基づく応酬表と経緯(Wikipedia「漢 a.k.a. GAMI」DABOとのビーフ節)、KAI-YOUの人物解説、TOWER RECORDS ONLINEの漢インタビュー(2005年3月)、Apple Musicの各作品ページ、HIPHOPCsのレポートをもとに、2026年11月3日に確認した。「幻影」の歌詞解釈など資料により読みが分かれる点は、断定を避けて本文に明記した。

※本記事のApple Musicリンクはアフィリエイトリンクです。

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