人気絶頂、黄金期に入ったBAD HOPが解散を発表。しかも、フェスの会場での突然の発表ということもあって、かなりの衝撃を受けたヘッズもいるのではないでしょうか?
過去にも、全盛期での解散を迎えたことで、ロックバンドやトップアイドルグループが伝説となりましたが、BAD HOPも同様でしょう。解散宣言がこのあとに控える全国ツアーの起爆剤になっていることや解散ライブの場所を「# BAD HOP解散」でツイートさせ、ファンやメディアを巻き込んで決めていくムーブメント戦略も秀逸。
「# BAD HOP解散」はライブ会場だけでなくBAD HOPの思い出など多様なツイートで盛り上がりを見せているようです。
解散ライブについては、「どんな難しい場所でも実現したい」と公言したBAD HOPは最後の最後まで見せてくれそうですね。
今日は、BAD HOPの8人のメンバー紹介や解散後の動向を見てみたいと思います。
YZERR&T-Pablow
BAD HOPのメンバーを語るうえで最初に話すべきは、YZERRとT-Pablowでしょう。
彼らはご存じの通り、双子の兄弟として川崎の地に生を受け、常に行動を共にしてきました。
母子家庭による貧困から生活は荒み、中学になるころにはぐれていた二人。
ギャングチームへの上納金などの絡みで、二人を中心とした数名で起こした窃盗事件の結果、T-Pablowは鑑別所へ、「T-Pablowの100倍は悪かった」というYZERRは少年院へ送られます。
その後YZERRは一時、叔母の住むN.Yで暮らしていましたが、手紙でリリックを書き合うなどラップに惹かれていった二人は、YZERRの帰国後にユニットを結成します。
このころから高校生ラップバトルに出場しはじめ、T-Pablowは第1回・4回で優勝、YZERRは第5回で優勝し、彼らに注目が集まり、ネットでの特番が組まれたりメディアの取材を受けるなどを経て、2014年に現BAD HOPが動き出すのでした。
そのころ、二人のラップバトルを見たZeebraは、自身のレーベルである「GRAND MASTER」から二人を2WINという名義でデビューさせていますが、当時から二人のラップ力や才能、存在感は頭ひとつ抜き出ていたようですね。
Tiji jojo&Bark
Tiji jojoとBarkは、YZERRとT-Pablowの保育園からの同級生で実家も近所、四人で貧困や偏見などに立ち向かうかのように非行を繰り返していたとのこと。
Tiji jojoは在日韓国人として、その差別や過去のしがらみへの反骨から非行が加速し、高校生で少年院に入りました。出所のタイミングでT-Pablow らが高校生ラップバトルで名を上げていたことに刺激されラップを開始。
新しいラップスタイルを作りたいと語る彼は実は研究熱心なタイプか。
Barkは四人の中では比較的落ち着いていたようですが、それでも少年院に入っています。
自分の出自である「川崎の貧困」というバックボーンを武器にしたいBark、ある意味ではBAD HOPのコアな精神をけん引しているのかもしれません。
Benjazzy
抜群のラップ力で異彩を放つBenjazzyは、YZERR、T-Pablowの兄の友人でその関係性の中でBAD HOPにジョイン。
はじめのうちはラップをやることをためらっていたのですが、T-Pablowの熱心な誘いと後押しもあってラッパーになったそうです。
他のメンバーより1つ年上のBenjazzyの父は英語教師だそうで、Barkの担任でもあったそうです。
後付けですが、Benjazzyのクールなバイリンガルラップを聴くと、父が英語教師であることも頷けますね。
テクニカルなラップを追い求めていた彼が、最後に到達したのがメッセージ性。
最高の素材と最高の調理法を得たBenjazzyは、もはや完全な存在なのかも。
Yellow Pato
Yellow Patoは、川崎フロンターレのユースに所属していた経歴もあり、サッカー経験者の多いメンバーの中では随一の腕前。
しかし、道を外れボールよりHIP HOPを蹴りこなすようになり、BAD HOPに加わります。
Yellow Patoは、小5のときにYZERRにシメられた経験があるようですが、それがキッカケでつるみ始めたそうです。
メロウなフロウを得意とするYellow Patoは、BAD HOPの幅を広げるラッパーです。
G-K.I.D
G-K.I.Dは、実家が極道でありある意味ではワルのサラブレッド。
家が裕福であったG-K.I.DはBAD HOPの中では別のバックグラウンドを持っています。
同一種族が多いBAD HOPにおいて、多くのものに客観性や多面性を加えるアレンジャーのような立ち位置ではないでしょうか。
Vingo
Vingoは、メンバーの中で唯一東京出身。父はミシュランで星を獲得するほどの懐石料理の料理人。
Tokyo Young Visionの創設メンバーでラッパーとして活動していましたが、そのセンスや能力を見込んだYZERRがヘッドハントしてBAD HOPのクルーになったという経歴があります。
Tokyo Young Visionでの活動をYZERRに相談するうちに二人は意気投合していったようです。
最終的にTokyo Young Visionを抜ける決意を固めたところをYZERRがヘッドハント。
音で遊びながら練りに練った遠回りの比喩でリスナーを戸惑わせるくらいの深みを求めているそうで、BAD HOPのラップにより厚みや深みを加える役割ですね。
8人それぞれに個性やスキル、志向や思考の確立されたBAD HOP、圧倒的な人気を誇る理由が少し見えたような気もしますね。続いては、解散やその後について見てみましょう。
解散後の動向
解散については、2023年6月23日未明に更新された公式YouTubeでメンバー全員が対話する映像が公開されています。
BAD HOPとしての10年間の活動で、日本のHIP HOPシーンが確実に成長したという実感、達成感を感じていると語る彼ら。
レーベルに所属しないがゆえに、できることはCDの箱詰めやパッキングまで自分たちの手でやってきた彼らにとって、単にラップや楽曲を作るだけでなく、自分たちが立つシーンやステージそのものを手造りしてきたが故の実感があるのですね。
手を動かしてきた彼らにしか成し得ない強烈な達成感がBAD HOPとしての「ひとつの区切り」に変わった、その形が解散だったのではないでしょうか。
YZERRやT-Pablowが語った、「BAD HOPを遺すために解散」という言葉も印象的です。
彼らは、HIP HOPシーンを動かしただけでなく、川崎という街を動かし、そこに生きる人を動かし、ある意味では川崎という世界を変えてしまったのかもしれません。
この映像を見る限り、メンバー自身が見ているものや考えているものにズレや軋轢は感じられませんでした。
方向性のちがいや関係性の悪化ではなく、BAD HOPが次のステップに進むための発展的解散、非常に前向きなものだと痛感しました。
そして、YZERRが語るように本来はクルーとしてフレキシブルに活動することを目指したBAD HOPが、成長とともにグループ化してしまったことで、得たものと失ったものがあったでしょう。
ある意味では原点に戻ることで、BAD HOPでできないことに挑戦したいのかもしれませんね。
また、そういった彼らの活動の根っこには、「27クラブ」という思想もありました。
これは、海外の大物アーティストを中心に27歳を境に死を迎えてしまったり、姿を消してしまうというものですが、BAD HOPにとっては、その年齢までにHIP HOPで大きなこと成し遂げてネクストステップに進むという信念として刻まれていたようです。
有言実行のBAD HOP、その存在の大きさやカッコよさが際立ちますね。
まとめ
解散後の各メンバーの動向については明確に発信されていませんが、レーベル運営であったりソロであったり、何らかの事業であったり、心に秘めたものはあるのかもしれません。
しかし、今のBAD HOPは解散に向かって非常に前向きで、全力で一点突破しようとしているという一体感があり、改めて、BAD HOPという集団の強さやカッコよさを感じました。
どのような形であれ、各メンバーの今後の動きには注目していきたいと思います。