【日本語ラップ】Tokona-X(トコナエックス)おすすめの曲6選

Tokona-Xとは?

Tokona-X(トコナエックス)とは、1978年10月20日生まれ、愛知県常滑市出身のラッパーです。

彼は、2004年11月に26歳という若さで早逝したことも含めて、今尚語り継がれる超伝説の東海ラッパーです。

世代で言えばMACCHOや漢.a.k.a GAMI、D.O、AK-69、DJ RYOW、ANARCHY、般若などと同じ1978年生まれで、その世代の先頭を走っていたのが彼でした。

女遊びの絶えない父、薬物に手を出しドロップアウトしてしまった母。

その結果、移り住んだ常滑市で経験したいじめなど彼の人生は壮絶でしたが、HIP HOPと出会ったことでそれまでの人生のツケを一気に返すように快進撃を見せます。

ツイーギーとも活動を展開することとなるDJ刃頭とのILLMARIACHIでの活動かTokona-Xの原点で、彼独自の激しい流水のような滑らかで攻撃的なラップは、ここを源流としています。

伝説とも言われる「さんぴんCAMP」にも出演し、盛り上がりつつあったシーンを一気に牛耳ったのは言うまでもありません。

質がいいという評判の生みの親ともなったM.O.S.A.D.というクルーを率い、東海地方独自の負けん気と自負の強いラップを見せた彼。

M.O.S.A.D.だけでも十分に伝説的な勢いを見せ、当時の「流派-R」にも出演、中央のシーンにも肉薄していました。

そのときの「黙って見とれよ、ハマるから」という不敵で押しつけがましい態度は抜群にカッコよかった記憶がありますね。

Tokona-Xの動きが、実際には日本のHIP HOP界を大きくけん引している訳ですが、彼の姿はキングそのものだったと思います。

その結果、アメリカの大物レーベルであるDef Jam Japanと契約を結び、東海地方だけでなく日本全国にその名前を轟かせたのでした。

Def Jam Japanでの活動を精力的にこなし、シングルを立て続けにリリースしたTokona-X。

伝説とも言われる「知らざぁ言って聞かせやSHOW」や「トウカイ×テイオー」をリリースし、いよいよTokona-Xが日本を乗っ取るときが来たかに見えた矢先でした。

兼ねてからの体調不良が影響したのか、体力の著しい低下が引き起こした心肺停止により、Tokona-Xは26歳でこの世を去ったのです。

「27クラブ」と言われ、ジミ・ヘンドリクスなどの超大物海外アーティストが軒並み27歳で早逝することは有名ですが、Tokona-Xはそれよりも1年早くその圧倒的なカリスマを誇ったアーティスト人生を絶頂のままで幕を引いたのでした。

ルックスやトラック、ラップスキルだけでなく地元へのレペゼンを全面に据えた活動は、Yerrow Backsなどの後進にも大きな影響を与えたTokona-Xのおすすめの曲を見ていきましょう。

Tokona-X おすすめの曲6選

I Just Wanna... feat. SYGNAL

まずはメジャー第一弾シングルとなった「I Just Wanna」(2003年)です。

ミドルでダークなブレイクビーツのHIP HOPも多かったような印象のある当時ですが、スピード感と勢いでキレキレのラップは秀逸です。

彼の特徴でもある東海弁を流暢に音に載せて、それすら韻に踏み込んでいくスキルは完全無欠のラッパーですね。

自分のラップの特徴を熟知したからこそのトラックメイキングもセンス抜群、今聴いてもガンガンに上がってしまいます。

TOKONA-X feat.Kalassy Nikoff

続いては、盟友にして親友、そしてライバルであったAK-69をシンガーKalassy Nikofftoとして迎えた「Let me know ya」です。

今聴いても古さを感じないメロディとヴォーカル、気だるいトラックに乗せた不敵なラップ。

この曲はビジネス的にはオリコン39位と成功し、Tokona-Xが西からメジャー音楽シーンに上洛した瞬間ともなりましたね。

シンガーだけでも成功したのではないかと思わせるAK-69の歌が絶妙に絡み合ったメロウな一曲、今から毎日のレギュラーチューンに、ぜひ。

Super Ball 2002 feat.Watt,Sygnal (M.O.S.A.D)

続いては、2002年にM.O.S.A.Dでリリースした一曲。

当時は、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDなどクルーでカラー溢れるラップで攻撃的に仕掛けてくるHIP HOPもひとつの流れになっていて、西にはM.O.S.A.D.が天下統一を狙う勢いで君臨していましたね。

その勢いをそのまま表すようなこの一曲は、歴史として要チェックです。

If I…(M.O.S.A.D)

もう一曲、M.O.S.A.D.から「If I…」をご紹介しましょう。

もう歌いだしで「If I ruled the world」と出てきますが、そのくらいの勢いと自負があったということですね。

完全に、当時の時代を作っていた一員だったM.O.S.A.D、もうこれば黙って聴くしかない、という部類の曲だと思います。

当時から、このような多彩なトラックにラップを乗せていたんだな、と改めて楽曲としての完成度を感じる一曲でもありますね。

Where's my hood at?

「Where's my hood at?」は、Tokona-Xの自伝的な一曲。

生まれや出自、生い立ちを歌いつつ「俺をデカくしたのは東海だ」と地元一帯をレペゼンし、押し上げるメッセージとなっていますね。

こういった曲を積極的に生み出して、シーンだけでなく地元の人間の想いも底上げしていく真のHIP HOPアーティストTokona-X。

当時のシーンでは完全に格が違っていたのかもしれません。

知らざぁ言って聞かせやSHOW

最後は「知らざぁ言って聞かせやSHOW」。

Tokona-Xの真骨頂でもある東海弁ラップとセルフボースティング全開のこの曲、Tokona-Xの最高傑作といってもいいでしょう。

この曲がMCバトルでビートになれば、今でもかかった瞬間にフロアが大きく揺れだすほどの破壊力です。

このように、方言全開で抜群にクールなラップを聴かせるラッパーが他にいたでしょうか?

これがTokona-Xが超伝説たる所以であり、東海HIP HOPを日本トップクラスに押し上げた要因なのかもしれませんね。

曲やラップのカッコよさだけでなく、方言のカッコよさやその地に生まれた誇りすら感じさせるこの一曲は、日本語ラップにとっても価値のある一曲です。

言葉や態度だけでなく、方言ラップで地元をフックアップするのはTokona-Xだけなのかもしれません。

まとめ

いかがでしたか? 伝説のTokona-Xのおすすめの曲。

どの曲も時代や流行りに左右されないオリジナリティを持ちつつも、東海への愛情や想いをど真ん中に据えた曲でした。

地元を愛し、地元を盛り上げ、地元を中央にぶち込むラッパーの根幹を作ったのはTokona-Xだったといってもいいかもしれません。

愛知だけでなく、東海地方全体を「地元」と言い切ってライブでフックする彼の姿は、もはやスターでしたね。

そうやってラッパーとしての生き方を示し、根付かせることがTokona-Xの使命だったのではないかと今思います。

その使命を果たした彼だからこその早逝であり、もしかしたら決して早逝ではないのかもしれません。

Tokona-Xのフッドスターとしての生き様は、すべてのラッパーの中で生き続けていることでしょう。

「地元のフッドスター」、その根源にいたTokona-Xを改めて聴き込んでいただくきっかけになれば幸いです。

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